心の中

私の妊娠経験を書いてます。「初めに」をご一読下さい。

考える時間(千秋③)

診断が下りた水曜日は、先生は「明後日、もう1度見てみましょう」と気遣ってくれました。

帰宅してからも調べましたが、木曜日はずーーーっと、スマホで検索、検索。
なんで私なの?15人という確率高いな、どうして友達は2人も産めたの?やっぱり、知らないだけで流産してたの?

(これは本当に喜ばしいことで、もう羨ましい!話ですが。この友達は流産死産を体験していないと思うのです。千春の妊娠が安定期を迎えた際に、産前に「お祝いの品」をプレゼントしようとしてくれました。流産や死産を経験してたらこの行為は遠慮するかと思います・・・。なので。
これだけは誤解を招きたくないのですが、彼女は紛れもなく命懸けで出産して、2人の子供を育てています。尊敬しないはずありません 。)

稽留流産 初期流産 確率
また泣いて、また調べて読んでは泣いた。
そんな単語のあとは、皆さんの体験談で知った「掻把手術」について調べました。
全身麻酔が中には効かないとか、途中で麻酔が切れたとか、ラミナリアが痛いとか、入院だとか、私には全く知識がなかった。
妊娠発覚後、すぐ買った初めてのた〇ひよなんていう、幸せいっぱいな雑誌には、手術のことを詳しくは載っていません。
千秋を亡くして、今度は激痛が待ってるわけ?
中にはとんでもない産院があって、中絶と間違われたような対応をされた、といった話は絶句しました・・・


もう、明日は手術の話になるに違いないと思い始めていたのです。また心拍が戻るのはありえない。
なぜか?1週間前から千秋の成長は止まっていたからです。諦めたのではない、認めました。
それは正しかったです・・・。

心の場所(ぐだぐだ)

突然ですが、私の心は、心臓の近くにある気がします。中には、脳だと言う方もいますね。

ドキッとしたり、ヒヤリとすると心臓そのものが感じているように感じます。
幸せな温かいポカポカした気持ち、モヤモヤと腹立つとき、そして今
すきま風が吹いてるような、ポカーンと穴が開いてるような、息の詰まるような、空虚で、何がで埋めたくて仕方ないこの気持ちは、心臓の近くに感じます。これは私の心だと思っています。

脳は一応、家族との会話に反応して笑うし、返事もしますし、寒さも感じます。
でも私の心はちっとも反応してません。こんなこと、家族には言えないです。
当たり前ですが昨日あんな診断が下り、その数時間後のうちには我が子の命をどうするか決めて、胎動を今だって感じている。千春は、苦しい、痛いって気持ちで蹴飛ばしているのかもしれない。

こんな心にならないはずはない。
でも、もう涙は目が潤む程度で流れでません。

まだ今は、明日はこの子がいる。
だからご飯だってちゃんと食べて牛乳も飲んで、羊水ないから大人しく過ごそう!って思う。

でも、明後日は?来週は?来月は?
再来週は、水天宮へ安産祈願しに、夫婦と義母と実父で行く予定でした。
その1週間後は、市で行われる両親学級に参加する予定でした。
リビングの卓上カレンダーにこの予定を書いたのは、数週間前の何も知らない私です。
両親学級のお知らせのハガキは、昨日のうちに捨てました。

私は、千秋を亡くしたとき、どんな心で過ごしたんだろう。
たった半年前に起きた出来事なのに、悲しみは覚えていても、どんな心で過ごしたのか記憶から抜けています。
千春のお陰なのかもしれません。この子が来てくれて、幸せになった。
・・・そんなこの子がお腹からいなくなってしまったら?
考えても答えはなくて、こうやってダラダラとぐだぐだとこの記事を書いてます。
日常が、時間が何とかしてくれるとは思えない。
それほど、未だかつてないほど心がズタズタなのかもしれません。


一番つらくて、一番いま痛いのは千春
千春の心が知りたいです。

稽留流産(千秋②)

このとき、インターネットのおかげで、こんなに悲しい思いをした人がこんなにも大勢いて驚きました。あふれるたくさんの支えの言葉、励まし前向きな気持ちにさせてくれて頂きました。

だから、千秋もきっと忘れ物を取りにバイバイしてしまったのだろうと、思えるようになりました。
また帰ってきてね。他のママの赤ちゃんになってもいいけど、私は千秋が帰ってきてくれてもいいんだよ、と。

たったのひと月ちょっとの命だった。
あまり、食べつわりとはいえ重くなくて、前職の仕事柄、体力もありましたから、主人と伊豆に1泊旅行に行きました。その旅行に行く数日前にはもう、千秋はお腹の中で亡くなっていたことを知るよしもなく。
親子3人で旅行だよー ・・・と。

出血・腹痛、一切ありませんでした。
後日振り返って、自覚症状として思うことは旅行から帰って、2日後の検診の日。
朝、ただでさえ重くはないつわりが軽くなってました。
なくなったのではないし・・・、何だろう?という軽い疑問符だけあって、夕方の検診を待ちました。

初めての妊娠(千秋①)

・27歳の8月下旬に妊娠発覚
・妊娠6週目、心拍確認
→仕事を退職し、初孫を心待ちにしている義母に報告
・妊娠8週目
→検診の順番待ちのとき。
友達が同じ産院の別棟で、無事に第二子を出産し、その報告メールを受けて「おめでとう!」と返信。
数分後、順番がきました。内診台にあがりました。モニターをみて、あ、大きくなってるー!と内心喜んでいました。
ところが、先生はこう言いました。
「・・・残念ですが、心臓が止まっています」
「お腹の中で、この大きさだと1週間前に亡くなっています」

部屋は違えども同じ型のモニターで、数週間前に千秋の妊娠発覚を知りました。
妊娠の喜びより、この心拍停止の瞬間が強烈で、悲しいことに今、千秋について思い出そうとすると、真っ先に子宮内で死亡している事実が頭を占めます。


あの日、付き添いは誰もいませんでした。
泣きながら運転して帰宅しました。
主人はいつも仕事が終わるまで連絡がつきません。
父は休みの日だったので、家に居るかと思ったら、公園に散歩しに行ってました。
泣きながら電話して、すぐ帰ってきてくれました。
父には、初期流産の話は妊娠発覚時にしてました。
私も主人も、初期流産のことは知っています。

でも心拍確認できれば、ひとまず安心だと何故か信じていました。
これは後から知りましたが、何かの記事に12週くらいで初期流産の確率が減る。
早まって連絡した義母に、申し訳なかったです。

妊娠中の環境と私のこと

なんでこんなことを書くのかということ。
流産等をして、自分を責めている方をたくさんネットでお見かけしました。
仕事のしすぎ、夫婦仲が嫌悪になったから、エトセトラ。
残酷なことなんですが、ストレス、という点においては
ストレスのない環境があってもですね、起こりました。
母体に問題なくても、流産も、両親の家にはない障害も。

ご存知の方も多いとは思います。
全ては確率。酷い言葉は、自然淘汰・て・・。
無情な言葉で、書いてて嫌になるし見てても嫌になる。

流産全体は妊娠の全体の15%(100人中15人)に起こる。
両側性多嚢胞異形成腎は0.1%(1000人中1人)。

高い。
しかも1回流産したら、2回目もあるかもしれない。15%は高い。
でも、千春の0.1%も、充分高いことをこの身に知らされました。

なんで私の子供が?私だけ?この疑問は消えません。



私は千秋を妊娠したとき、幸いにも仕事を辞めさせてもらえて、千春のときも仕事はしていませんでした。
専業主婦なのにだいぶ怠けて趣味と昼寝に没頭です。
ちなみに、なかなかストレスある職場で、辞めたら毎晩の歯ぎしりは治まりました・・・。

家は私の実家で、実父と主人の3人と猫が1匹います。
私の苗字は主人です。義母は車で5分少々のところに1人で暮らしています。
いわゆる干渉はなく、年に数回一緒に食事して、一人息子を私の実家で住むことになったというのに、優しい方です。

元々実家は二世帯住宅で、私が17歳の時に同居していた祖母と母を亡くしたため、父と2人っきりでした。親子の仲は良好。ありえないかもしれませんが、友人が少ない父と年に数回旅行に行きます。
(余談ですが、不倫と思われる方もいましたよ)

私が主人と付き合う頃に父の仕事の勤務形態が夜勤になりました。
その数年後に結婚しました。
最初はその頃に仕事を定年退職した義母が「うちにおいで」と仰ってくれたのですが
・二世帯住宅の作り+父は夜勤ですれ違いで会わない
・父↔主人 同居しても嫌じゃない
の話をしたら、納得してもらえました。

千秋を授かり専業主婦になると
朝主人を見送り昼すぎに父を見送り、夕方主人が帰宅して一緒に晩御飯を食べて、同じ寝室で眠る。
空いた時間は手抜きの家事(汗)と、趣味と昼寝。
ストレスなんて全くありませんでした。
書き忘れましたが、主人との関係も良好です。

・・・だからといって、15%は知っていたからその可能性はある。
でも、本当に私(赤ちゃん)が確率に当たるのか・・・って思います。

嫌になる。

今の私2(千春②)

もう、「両側性多嚢胞性異形成腎」と検索しても、同じ体験した方の記事は見つかりません。少ないから。みんな、片側。
あっても幼児性とか、胎児のことではありませんでした。
あとは病院のガイドラインが出てきました。
「致死」
「片方が正常なら」
「多くは片側」「出生後死亡」

1000/1の確率、遺伝性はないこともある

両側性多嚢胞異形成腎と診断した先生は、中期ドック専門の、通っている産院外の方です。
その方の言うことを信用してないわけではなくても、調べたくなって、そしてこのガイドラインの内容・・・。

それで色々考えて、ああ、私もこの経験を書くことにしようと思いました。
主人に相談したら、「口にするだけでなく、書くとまた違うからね」(心を整理するということ)
「発信することにより、発散できるんじゃないかな、」
家族の励ましが足りないとか、そんなんじやないから!と誤解を恐れて言ったところ
「同じ経験をした人にしか分からないだろうから、書いたほうがいいよ」
同感してくれたことに感謝しながら、今日という日を千春と千秋のことを思いながら、ときどき感じる胎動をさすりながら、書きます。

千春にも、昨日何度も泣きながら色んなことを謝りました。きっとこの情緒は胎盤を通して、ホルモンという形なのかな、伝わっちゃうんですよね?
苦しんでる上に、私のそういうグチャグチャな感情を無理やり押し付けられてるのか?
勘弁してくれよ

だから、明日以降の事は考えるのを一旦やめようと思います。
中には、「そのとき」ようのお洋服や、おもちゃを用意する方もいるようです。(なるほど、と思いました)
でも、それは、私には何だかできないのです。
今日が日曜日で、でかけたら、元気なよそのお子様を見るからかもしれません。
でも、たぶん苦しんでる今、死後の旅立ちの用意をしたくないんだな。
(することが悪いこととは決して思いません。)

自分の気持ちを言語化して伝えることがとても苦手なので、この気持ちは漠然としながらどこか無気力な気持ちも含まれている気がします。


どこまでも前向きじゃないんですよね、別に前向きになったから用意したわけじゃないかもしれません。
ただ、今の私が過ごす今日は、今現在から過去のことを振り返る時間にしました。

今の私(千春①)

いま、このブログ開設をして記事を書いてる時期は
1人目の子供をちょうど半年前に稽留流産で亡くし、そして半年後(今)、2人目の子供を妊娠20週目で
「両側性多嚢胞性異形成腎」の診断が下った時です。
医者からはっきりと
「お腹の中でも今後生きていけない」
「生きても羊水がないために肺が成長しない」
「脳にも障害が出て、もし産まれても透析、腎臓移植」

「頭より、お腹が大きい(腎臓が機能していないから、飲んだ羊水を尿にしてだせない)」
お腹でおしっこできなくて辛いんです

「羊水が全くないから、赤ちゃんのクッションがない」痛いね、苦しいね

「助けてあげられます、とは言ってあげられない。」

(ここからは私が泣いてしまったので正確な言葉は記憶にないのですが)
「今回は、残念ですが・・・・・・方が、いいかと思います」
諦めたほうが、とか厳しい、とか難しいとか、「人工死産」をぼかしてくれた言葉だったと思います。
このお医者さんは、この人に言われたら間違いないんだ、セカンドオピニオンはありえないんだ、という方です。(詳しくは省きます)

その方が、謝る必要なんて全くないのに、何度も
申し訳ないのですが
申し訳ないのですが
って、話す度に仰るんです

赤ちゃんは今、苦しんでいることを想像すると、呑気に胎動を喜んで散歩して、話しかけて、バカみたい。
羊水ないから、ぶつかって痛かったね。
おしっこちっともできなくて、腎臓腫れ上がって、お腹も膨らんでるのに、なーんも知らないで、知っても何もしてあげられない
死を待つしかできない
しかも、そのときまで苦しみ続ける
もし、今20週だけど早めに産まれても、肺呼吸できない

先生から「~しても」と、仮定の上で提案して頂きましたが、実は道は一つしかないんだと、夫婦で理解しました。

明日、産院の医院長先生と、千春の今後の話をさせて頂く予定です。

昨日、さんざん泣きました。喚きました。
あと、1日いったい今日は何をして過ごせばいいんだろう?まさか散歩?この寒いなか、赤ちゃんはお腹の中で歩く度に子宮や臍帯にぶつかり、羊水もないからきっと他の赤ちゃんよりも寒いんじゃないの?
どうしたらいいんだろう。

長くなりそうなので、切ります。