心の中

私の妊娠経験を書いてます。「初めに」をご一読下さい。

終わりに

この記事をもって、私の経験談であるブログは一旦お終いです。
コメント欄はあえて設けておりません。
今から全記事を見直して加筆修正をしようと思います。それでももし、傷つけるような表現があったらごめんなさい・・・。

いつか千春と同じ疾患名の診断が下った方
千秋のように稽留流産となった方
検索して、このブログを見つけてご覧になっても、悲しい話ばかりでごめんなさい。

誰も話さないだけで、たくさん全国や世界にも同じ人はいます。

一人だけじゃないですよ。孤独じゃないですよ。
あなたのせいでは決してないですよ。

確率という無機質な言葉、本当に嫌気がさしますね。
自然淘汰なんて言葉、気にしちゃいけないです。
考えても、どうして私の赤ちゃんが、どうして私がこうなったのかは、分からないのです。


そんなことしか言えないです。
そして、絶対に赤ちゃんと一緒に命を絶とうとしないで下さい。

今は絶望感に心が潰される思いだとしても、心の整理なんかつくはずがなくて、こんなことはまだ考えられないと思います。
それでもきっといつかまた、赤ちゃんが来てくれることをあなたが願って、そんな未来を考えられるようになって、忘れるわけは絶対にないけど、少しでも心が前の方へ、上の方へ、本当に少しでも向けますように。

日常生活に戻ることの苦痛、中々経たない時、本当につらいです。
でもまた、あなたのところへきてくれた赤ちゃんと、あなたが幸せになれますように。

2017年4月9日

3月30日(千春⑯)

千春とさよならをして、もう1週間と3日経ちました。桜が満開で、見頃を迎えました。
季節は移ろいます。
私があの頃と変わったのは
感じていた胎動が無くなってしまったこと
妊娠関係の書籍や書類を見なくなったこと
妊娠中ほど栄養を気にしなくなったこと
代わりに
毎日お仏壇の、小さな骨壷にいる赤ちゃんにミルクをお供えすること
骨壷に巻いた、汚れないステイを取り替えること
が日課になりました。
話しかけることは、以前とは変わらないな。

手術は、処置室には12時間近くいました。
が、無痛分娩だったのと薬が効く方だと思う、手術後今日まで何かあることはありませんでした。
それは処置して頂いた先生や助産師さんたちのお陰だと思いますが、あの子のお陰でもあると思っています。

産後、助産師さんが言ってました。
「赤ちゃんは産まれてくるタイミングを分かってるんだよ」
本当にそう思えました。

20週目の検診で腎臓に異常があると発見、たまたま月1回だけの胎児ドックが翌日にある。
予約は満員だけど受けれた。
それがなければ往復4時間かかる医大に自力で行かないといけなかった。きっと泣きながら電車で帰宅したのだろう。
ドック当日は、土曜だから主人も大事なお話しを一緒に聞けた。
そして出産当時も、無痛分娩の麻酔が切れて入れ直し、麻酔が効き始めたらあの子は出始めてくれてました。
大量出血もなかった。退院時の貧血はほぼないと言われてびっくりしました。
手のひらより少し大きいくらいの千春は、赤ちゃんなのにとっても親孝行でした。
タイミングは全て身体と精神のダメージを最小限にしてくれたのかと思えるほどです。

それなのに私はあの子に死を与えるしかできなくて、無力だと思い知らされます・・・。
知る術はないですが、ほんの少しでも、私たちのところに来てよかった!
と、思うことがあればいいな・・・

ラミナリア2(千春⑮)

前回の記事を書いた後、すぐに2回目のラミナリアの処置が行われました。
やっぱり痛い話です。


昨日と同様、まず処置のために器具を入れるわけですが、今日はそこから痛かった。
最初から最後まで違和感は一つもなく、ただ痛かった。
ラミナリアを抜くのも痛い、恐らく昨日より多めに入るはず。(これも皆さんの体験談のおかげで覚悟してました)
さて、一体どのくらい処置の時間がかかるのか・・・

そのうち先生がラミナリアを持って入れるタイミングに気づいたので、その前に息を吸っておいて入れるときに「はぁ~!」と吐き、それでも痛い。
顔が熱くなって手も額も汗ばむのを感じました。
最後に「奥に押します、ごめんなさい」がトドメでした。
それでもやっぱり、千秋のときのほうが痛かったのは初めて経験する痛みだからかな?
ただ今回は、処置終了直後から痛いです・・・。

聞いたら、本数は昨日が5本、今日は10本でしたから、すぐ痛くなるのも納得。
時間は終わればあっという間で、むしろあの短時間の内に、10本も入れて頂けたのかと。
ありがたい。

今のところ出血もほぼなく、2時間ほど経ちましたが痛みも落ち着いています。
このあと痛くなったとしても、痛み止めのお薬が頂けるとのことですが
千春には薬がなくて、明日までずーっと続く。
それを思うと、親なのに何もできなくて、できることが人工死産なのだから、やるせないです。

ラミナリアと睡眠薬(千春⑭)

寒いなかあの日きてくれたお義母さんは、入院のとき一緒にバスで産院に行くよ、と言ってくれました。
申し訳ないし、大丈夫ですよ、とお断りしたら
「姑らしいこと、させてちょうだい」って言われて、千秋のときもそうだけど、お義母さんの気持ちを私は考えていないことに気づきました。
お言葉に甘えて、と言ったら喜んでくれました。
この子のおばあちゃんだものね・・・


病棟の看護師さんたちは、皆さん本当に親切で良くして頂けて、私の精神状態は穏やかに保たれています。
食事も美味しいので、思わず千春にも「あと2時間くらいしたら、美味しいのいくよ~」と話しかけています。
この穏やかな気持ちと、栄養が千春に届いていますように。
つらい思いだけなんて本当にかわいそうで嫌だ。

以下、ラミナリアの話です。痛い話です。


入院当日、来院早々あの恐ろしいラミナリアを入れました。が、最初の消毒のほうが痛かった・・・。
処置している器具の感覚が気持ち悪い。
(もっと痛い話、色んな拷問の仕方を読んだことがありましたが、そこには女性器にする内容もありまして、一瞬そこのことを思い出しました。。。)

その人たちの痛みは、こんなもんじゃなかったんだろうな、と思いながら消毒が終わりました。

そのあとは以前の稽留流産のときのラミナリアみたいに、声が出るほどでもなく
(いつあの痛みが来るの?どれくらいあるの?)と思いながら息を大きく吸って吐いてたら
終わりました。
あれ??

痛みは医者によるとか、経産婦だとそうでもないとか、子宮口がかたい?と痛いとか、息を大きく呼吸するといいって、、
前回の痛みを知っていたとはいえ、まず痛いってことがなかった。(消毒だけ)
でもまた翌日ラミナリアを抜いて入れ直すときは違うのかも・・・


安静にしてくださいとも言われず、夕飯までごゆっくりお過ごしくださいと言われました。
その時点で子宮付近の違和感はなく、生理痛も元々0に等しいのでなんといえばいいか・・・。

自分の病室のある階数の建物には誰も他にいなく(ナースステーションは別館)、あるのはオペ室と無人の病室、汚物処理室、廊下に面した広場の談話室、共用のトイレと売店。
(当然夜は閉店するので、本当に1人っきり)

夕飯まで1時間半くらい、お水買ったり、開放的な作りの、誰もいない談話室でボーッとしてみたり。

1時間するうちに段々と痛くなりました。
夕飯のときはそこまででもなく
主人が面会に来てくれたときも部屋から遠いエレベーターまで送り迎えしましたが、20時過ぎると(処置して3時間半ほど経過?)
まるで頭痛のような感じと気持ち悪さが子宮口付近でします。
この手術をする人には睡眠薬を処方するそうですが、これは確かにないと・・・。
ありがたく服薬して、消灯時間を待たずに寝ました。

睡眠薬のせいか初めて金縛りみたいなのに合いました。起きてるようで頭は寝ている。寝入りばなだけでした。
起床後も眠くて、9~10時くらいまで横になっていたときも同じ目に合いました。やっぱり寝入りばなですね。
どうやら薬の持続性が長く、この記事を書いてるのは14時ですが未だに睡眠薬が残っています。

ところでラミナリアの痛みは起床時、全くありませんでした。出血もなく、ますますこのあとの処置が逆に不安です。

電話(千春⑬)

お風呂上り、父さんからLINEが来た。
「胎児ドック、どうなったの!?」
つらい話だよ、LINEは残るからつらいと思うと返信すると電話がかかってきました。


でも心は今でもおかしいのです。
空虚な、穴が開いたような感じが翌朝も続きました。
でも、父がかけてくれた言葉の中で一番胸に響いたのが
「まだお前は、その赤ちゃんの母親なんだから」
この言葉のお陰で、お腹空いても食べたくない、全然食べれないご飯をきちんと、ちゃんと食べようと思いました。
痛いね、ごめんね、つらいね
そんな言葉しかかけられなくて、お腹さすって、少しでも子宮が圧迫するような体勢をとらない。
それ以外にも、臍の緒は繋がっているのだから、この子の最後の時までちゃんと栄養のあるものを届けてあげられるかな、と。

翌日の義母との話の中(記事:少しだけ)でも、気持ちに変化が起こりました。
それまでの数日間、たぶん赤ちゃんは私の情緒をホルモンとして受け取って、きっと体がつらいのに更に嫌な思いもさせていたと思います。
だから胎児ドックの日に気持ちを切り替えようと早まりすぎたところもあったけど、今は切り替えというか、安定したというか、諦めがついたとは違うんですが。

早くこの子のパンパンになったお腹を、体の痛さつらさから解放して、元のいたところに還ってほしい。
そしてまた私のところに来てくれたっていいし、他の素敵なお母さんのところに行ってくれても全然いい。
ただ、今よりもっと幸せになってくれることを祈っています。それだけです。

少しだけ

夫はどんな時も、わたしにだけはすごく優しい。
その本当の理由を今日知りました。
お義母さんがすごく優しいからでした。
お義母さんがすごく優しい人なのも、さっき知りました。

共通することがあって、お父さんと夫と、お義母さんは口を揃えて同じことを言う。
一番心配で、一番大事なのは〇〇のことなんだよ。〇〇の体のことなんだよ。
3人とも、私が一番大事なのは千春だけど、そこも踏まえてそれでも大事なのは・・・って言うんだ。
その優しさや思いが、こんなにも私の心にしみこんで、どうして母子ともに死にたいなんて、思えない。

心の空虚な感じは変わらないのは、それは千春への思いがあるからなんだけど、心の向きは少しだけ真下から上へ向いたような、そんな気持ちになりました。
手術の同意書を持って帰った際の、さっきの記事の自分は、数時間後こんな内容のことを書くとは思ってなかった。


お義母さんがこんなに寒くて雨も降る中、うちに来てくれて、そしてしばらくお話をいろいろして、お見送りしたとき。
ポストに、数週間前に登録した赤ちゃん本舗のDMが投函されていました。
ちっとも嫌じゃなかった。
今日お義母さんとの時間がなければ、このDMは自分で登録したくせに、グチャグチャに丸めるか破り捨てていたはずです。

季節外れの寒さ

こんな寒くて雨もたくさん降ってるなか、「人工妊娠中絶同意書」なんかもらって帰ってきて
お腹から追い出すためのお金おろしてきて、何なんだろう

16週目の検診が気になったから
医院長先生に、「そのときの向きで腎臓が写らなければ分からないですよね」って、聞いて
見るひとや機械の精密さでも違いますよね、って聞いて
「その通りです」と肯定されたので、この1ヶ月の千春の苦しみは検診で「見なかった」せいで生じたものではないのだなと、思えました
見えないから、何も言わなかったのだろうと。


基本的に入院時に付き添いができないようで
(これは当初、大部屋の予定だったからできなかったようです)

一人ぼっちで千春とバイバイするのかと思うと
母親のくせにどうしようもなく不安です
帰りもからっぽのお腹でバスに揺られて帰るのか
いなくなっちゃった生活、そこからとても頑張れるとは思えない
日常生活に追われて時と共に傷を癒す方法はできない、日常生活にこそお腹の赤ちゃんとの思い出があるから。

私の頭の中は、この手術を終えられるのかという怖さと、お腹でポコポコ動いているこの子のこれからを、堂々巡りの思考でしめている。
これからなんてあるようでなくて、最善なんてものもなくて、本当にぐるぐるぐるぐるしている。